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エコール・ド・パリをわかりやすく解説!有名画家とともにご紹介

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エコール・ド・パリは、
20世紀の初めに
パリで興った美術の動向です。

エコール・ド・パリとは
「パリ派」という意味。

当時主流であった
キュビズムや表現主義に属さず、
独自の技法で活動をしていた画家たちを
エコール・ド・パリと呼んでいます。

第1次と第2次の
世界大戦の間の時期、
とくに1920年代に
エコール・ド・パリは
盛んになりました。

芸術の都として
アーティストたちの憧れの町であった
パリ。
世界中から集まった画家たちによって
エコール・ド・パリは
構成されていました。

有名な画家は、
イタリアのモディリアーニ、
フランスのローランサン、
日本の藤田嗣治など。

エコール・ド・パリの
魅力や特徴を
有名な画家や作品とともに
紹介します。

エコール・ド・パリの画家たちの多くが活躍したパリのモンパルナス

エコール・ド・パリには
どんな特徴があるのでしょうか。
わかりやすく
解説します。

「エコール(Ecole)」とは
フランス語で
「学校」や「派」という意味。

エコール・ド・パリは、
20世紀初めのパリを舞台に
展開した美術のグループです。

当時のパリは、
芸術の都として
世界中からアーティストが集まる町でした。

エコール・ド・パリは、
主流の美術運動に属さない
個性派の画家によって
構成されていました。

パリの南部、
セーヌ川左岸に位置する
モンパルナスが
彼らの活動の中心。

カフェをサロン代わりにして相集い、
刺激し合ったと
伝えられています。

20世紀初頭のパリでは、
巨匠と呼ばれる画家たちが、
さまざまな美術運動の中心で
活躍していました。

たとえば、
ピカソに代表される
キュビズム、
ダリに代表される
シュルレアリスムなどが有名です。

これらの主流の
美術運動とは一線を画し、
自己流を貫いたことが
エコール・ド・パリの特徴です。

当時盛んだった
前衛的な美術の刺激は受けつつ、
拘束されることを拒み、
創作活動をしていました。

エコール・ド・パリの画家たちは
抒情性や
内面の表現を重要視した
作風が特徴。

代表的な画家には
モディリアーニ(イタリア)
シャガール(ロシア)
藤田嗣治(日本)
ユトリロ(フランス)
ローランサン(フランス)
などがいます。

モディリアーニ「シャイム・スーティンの肖像」1917年(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

エコール・ド・パリを代表する
画家として知られる
アメデオ・モディリアーニ。

細長い顔が特徴の
肖像画を、
数多く残しました。

モディリアーニは、
イタリアのトスカーナ州
出身。

幼いころから病身で、
母とともに、
イタリア各地で療養。
イタリアに残る
巨匠たちの作品を目にし、
画家を志すようになりました。

フィレンツェやヴェネツィアの
美術学校で学んだあと、
1906年にパリへ。
モンマルトルに居を定め、
ピカソをはじめとした
当時の芸術家たちと
親交を持ちました。

モディリアーニは
彫刻家になることを
目指していたと伝えられています。
胸の病のため
体力がなく、
彫刻家になることは諦めました。

彫刻で学んだ
簡潔な手法と豊かな量感は、
絵画の創作で
活かされました。

飲酒や派手な女性関係など、
ボヘミアン的な生活を送った
モディリアーニ。

後期印象派のセザンヌからは
造形性を、
幾何学的な構造が特徴のキュビズムからは
単純化された線を、
取り入れました。

また、
アフリカの黒人彫刻の
力強さにも
強い影響を受けています。

モディリアーニは、
風景や静物はほとんど描かず、
残された作品は
人物像が大半。

いずれの作品も、
メランコリーと官能性を
帯びています。

第1次世界大戦後の、
不安な世相を
哀調あふれる作品に
結晶させました。

病弱であったことに加え、
貧困と飲酒がたたり、
モディリアーニは35歳で早逝。

愛妻のジャンヌは、
モディリアーニの後を追うように
自ら命を絶っています。


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夢見るような
魅惑的な女性たちを
描いた画家、
マリー・ローランサン。

マリー・ローランサン美術館があるほど、
日本で高い人気を誇る
画家です。

1883年、
パリで私生児として生まれた
ローランサン。
1902年から
磁器の絵付けを学び、
1904年ごろから
絵画の創作を始めました。

キュビズムの創始者、
ブラックやピカソと親交が深く、
詩人のアポリネールの
恋人でもありました。

線や形態に
わずかにキュビズムの影響が感じられるものの、
キュビズムには染まらず
独自の作風を確立。

淡い青や緑、紅色を基調に、
夢見るような若い女性を
描きました。

馬や鳥を配した
感傷的な画風は
詩的で抒情的です。

1912年、1920年には
大々的な個展を開催。
画家として
確固たる地位を築きました。

油絵だけではなく、
水彩画や挿絵、
衣装デザインや舞台装置も
手がけています。

パリを活動の場としながら、
フランス人以外の画家が多い
エコール・ド・パリ。

その中には、
日本人画家もいました。
洋画家の藤田嗣治は、
エコール・ド・パリを代表する
アーティストとして
高く評価されています。

陸軍軍医の息子として生まれた
藤田嗣治は、
1905年に
東京美術学校西洋画家に入学。

1913年にフランスに渡り、
モディリアーニや
ピカソと親交を持ちます。

日本の文展では
3年連続で落選した藤田。
フランスの
サロン・ドートンヌでは、
出展した6点すべてが入選するという
快挙を成し遂げます。

乳白色の肌、
墨色の輪郭線は、
藤田独自の画風です。

裸婦像や猫の絵が
人気を博した藤田は、
1921年には
サロン・ドートンヌの
審査員に。
エコール・ド・パリの寵児として
もてはやされました。

1925年には、
レジオン・ドヌール勲章を受章。

1929年に帰国し、
帝展へも出展しました。
その後はパリを中心に、
南米や北米にも旅行。
戦時中は、
戦争映画も制作しました。

1949年に日本を後にした藤田は、
1955年、フランス国籍を取得。

ランスの礼拝堂の壁画、
ステンドガラスのデザインを
手がけるなど、
晩年まで創作意欲は
衰えませんでした。

1968年、
チューリッヒで死去しています。

スーティン「アメデオ・モディリアーニの肖像」1916年(個人所蔵)

モディリアーニと深い親交を持った
東欧出身の画家、
シャイム・スーティン。

ベラルーシのミンスク出身のスーティンは、
14歳から3年間、
リトアニアの美術学校で
学びました。

パリに出てきたのは、
1913年。
モディリアーニやシャガールと
交わりつつ、
ルーヴル美術館に
通いました。

レンブラントや
クールベの影響を受けた
スーティン。
キャリアの初期は、
自身の才能への懐疑から
精神的に不安定になることも
多かったと伝えられています。

モディリアーニを介して
知己を得た画商の勧めで、
1919年から
南仏に滞在。

激しくデフォルメされた
風景、静物、鳥獣をテーマに
数多くの作品を遺しました。
赤、青、緑を使った
激情的な色彩も
スーティンの特徴です。

絵が売れず極貧状態だった
スーティンですが、
アメリカ人コレクターに
評価され、
困窮状態を脱出。

スーティンはユダヤ人であり、
世界大戦中の不安が、
作品に大きな影響を与えたと
言われています。

ナチスの手から逃れるため
転々としながら、
1943年、
ドイツ占領下のパリで
亡くなりました。

シャガールの「散歩」がデザインされたベラルーシの切手

詩的な画風が特徴の
マルク・シャガール。
日本でも高い人気を誇る
エコール・ド・パリの
画家です。

ロシア生まれのシャガールは、
ペテルブルクの美術学校で
学びました。
1910年、
パリに出て、モンパルナスに居住。
モディリアーニをはじめとする
エコール・ド・パリの
芸術家たちと
親交を結びました。

世界大戦の影響を受け、
1914年にロシアに帰国しますが、
1923年から再びパリに在住。
戦後は主に、南仏で
創作活動を行いました。

初期の作品は
キュビズムの影響がみられますが、
円熟期のシャガールの作風は
彼独自のもの。

花束や恋人たち、
故郷の思い出を、
幻想的なカラーで描いたところが
シャガールの特徴です。

ユダヤも民族主義の影響を受けた
深い精神性も感じられる
シャガールの作品。
激動の時代を生きた彼の
平和への祈りが込められた絵画も
多数あります。

シャガールの独特の作風については、
エコール・ド・パリであると同時に、
シュルレアリスムの先駆者と
捉える批評家もいます。

ユトリロ「モン・スニ通り」1914年(マルモッタン・モネ美術館)

エコール・ド・パリの画家としては珍しく
モーリス・ユトリロは
フランス人。

彼の画家としてのキャリアは、
アルコール依存症からの
脱却を目指したところから
始まっています。

画家であった母
シュザンヌ・ヴァラドンの勧めで
絵を描き始めたユトリロ。
ピサロをはじめとする
印象派の影響を受けながら、
強い輪郭の作風を確立しました。

モンパルナスを中心とした
町の風景、
肖像画、静物画など
数多くの作品を残しています。
白の色調が多いのが
ユトリロの特徴。

1907年から1915年頃までの
「白の時代」に、
有名作品が集中しています。

忘れ去られたような
パリの片隅を描いた作品群には、
都会の寂寥感が
美しく表現されています。

サロン・ドートンヌや
アンデパンダン展など、
美術展にも積極的に参加。
1920年代には、
画家としての評価を
盤石のものにしました。

19世紀初め、
パリに集まってきた
世界各地の画家たちによるグループ、
エコール・ド・パリ。

印象派やキュビズムなどの
影響を受けながら、
いずれの流派にも属さなかった
画家たちの総称です。

哀調を持つ肖像画を描いた
モディリアーニ、
夢想的な女性たちが美しい
ローランサンなど、
他に類を見ない作風をもつ
画家たちが活躍しました。

パリのモンパルナスを中心に
多様な画家が活躍した
エコール・ド・パリ。

世界大戦に翻弄された世界で
生み出された作品の数々に、
ぜひ注目してみてください。


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