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ピカソ「青の時代」とは?代表作は?親友の死がきっかけ|生と死、社会的弱者を描いた

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ピカソ「青の時代」とは?


こんにちは、画家の佐藤功です。この記事ではピカソの名言について書きます。記事がためになった、面白かったなら、ぜひSNS(Twitter、Instagram、Facebook)のフォローもお願いします。

ピカソの「青の時代」とは何か、まず簡単に説明します。

「青の時代」とは、ピカソが、20~23歳頃(1991~1994年頃)に、親友の死をきっかけに、青を基調とした暗い色使いの作品を描いた時期のことを言います。描いた対象は、生と死、貧困者、盲人や物乞い、売春婦など、社会の底辺に追いやられた弱者たちです。

それでは、この「青の時代」は、どのようにして始まったのでしょうか。

親友の死が「青の時代」の始まり
ピカソが20歳頃のこと、

故郷スペインのバルセロナから、一緒にパリに出てきた画家で親友のカサジェマス。ピカソとカサジェマスは、パリで、ともに絵画モデルを雇って絵画制作をしていました。

その絵画モデルの中で、ピカソは、オデットという女性と恋人になり、カサジェマスは、ジェルメールという女性に激しい恋心を抱きました。しかし、カサジェマスは性的に不能であったため、ジェルメールとは、実らぬ恋となりました。

ピカソは、そんなカサジェマスを慰めたりと気にかけていました。しかし、思い詰めたカサジェマスは、ついに、1901年2月17日、ジェルメールと心中を図りました。ジェルメールを拳銃で撃ち、その直後、カサジェマスは拳銃でこめかみを撃ち、自殺します。ジェルメールは助りました。

この事件をきっかけに、ピカソは鬱病になり、絵は、青い色彩で塗りあげられる暗い画面になります。

このようにして、「青の時代」の始まります。

ただ、この辺の男女関係が複雑でして、、、単に親友の死を悼んだピカソが青い絵を描いた、ということではないのです。詳しくは、次に書きます。

ピカソ、カサジェマス、ジェルメールの三角関係


この辺の男女関係を詳しく説明します。

カサジェマスがジェルメールに好意を寄せていることを、ピカソは知りながら、ジェルメールと男女関係を持ちました(ピカソにはオデットという恋人もいたが、、)。三角関係の状態ですが、このことは、おそらくカサジェマスも知っていたようです。

さらに、カサジェマスの死後、ピカソは、ジェルメールと付き合いだしました。

ピカソがどのような心境かは、なかなか想像しにくいと思いますが、、、親友が好意を寄せた女性と男女関係を持ったことと、カサジェマスの死後、鬱病を患ったこと、後述しますが、ピカソが制作した絵画の贖罪的な内容であったこと。これらから、ピカソは、カサジェマスの死に対して、ショックだけではなく罪悪感に苛まれていたであろうことが想像できます。

※ちなみに、ジェルメールは偽名で、実は既婚者、絵画モデルだけではなく、娼婦でもある。複数の男性と同時に関係を持つタイプの女性だったようです。そして、以後、ピカソとの男女関係は続き、その後の作品に度々登場していると言われています。芸術家にインスピレーションを与えるような女性だったのかもしれませんね。

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「青の時代」の代表作


ピカソは、カサジェマスの死後、彼のデスマスクや、追悼するような作品を制作しています。代表的な作品に「招魂(カサジェマスの埋葬)」「人生(La Vie)」があります。

代表作1「招魂(カサジェマスの埋葬)」

下図は、「招魂(カサジェマスの埋葬)」です。カサジェマスの死から、約半年後の1901年秋頃に制作されました。画面下半分は、カサジェマスの埋葬の場面。

画面上半分は、カサジェマスの魂を乗せた白馬に裸婦がしがみつき、それを娼婦たちが見上げている(見送っている?)。白馬にしがみついた裸婦は、事件までの状況からジェルメールでは無いと思われます(カサジェマスの母親か、娼婦の一人かもしれません)。娼婦たちが見送っているのは、ピカソとカサジェマスが、若い時期一緒に過ごしたときの、歓楽街や娼館の情景を思い浮かべて描いているようです。

パブロ・ピカソ 「招魂(カサジェマスの埋葬)」 1901年

さらに、中心の子供たちと乳児を抱く母は、孤児と寡婦か。あるいは、カサジェマスの死と対照的に、生まれてきた乳児を描いたのか。

「招魂(カサジェマスの埋葬)」に描かれたこれらの要素は、2年後の1903年の「人生(La Vie)」でさらに洗練されて描かれます。

代表作2「人生(La Vie)」

下図は、1903年に描かれた「人生(La Vie)」です。青の時代の集大成的な作品と言えます。

画面左で、寄り添う男女のうち、男性は、自殺したカサジェマス、女性は、カサジェマスが思いを寄せていたジェルメール(という説があるが定かではない。ピカソが想像でカサジェマスの恋愛を成就させているとも解釈できる)。

パブロ・ピカソ 「人生(La Vie)」 1903年

画面右には、無表情だが、威厳に満ちた視線で男女を見つめる母子像。これは、聖母マリアとイエスという説もあれば、カサジェマス、ピカソ、いずれかの母親という説もあります。また、当時のパリやスペインの至る所で見られた生活に困窮した人々、貧しい母子、あるいは寡婦を重ね合わせているのかもしれません。

そして、中央のキャンバス2枚には、打ちひしがれたような男女と女が描かれています。これは、人生の苦悩や孤独を表すと同時に画家のアトリエであることを示しています。これらが、左の男女と、右の母子を隔てています。

画面左の寄り添う男女は、性愛の象徴、画面右の母子像は、厳しさと慈愛。

この画面には、カサジェマスの悲劇を通して、人生の普遍的な苦悩や孤独、厳しさ、同時に慈愛や救いをも、表れているのではないかと思います。

※ピカソは、カサジェマスのアトリエで、この作品を描いていますが、そこに、カサジェマスの自殺の原因となったジェルメールが通って、男女関係は続いていきます。

ジェルメールは、その後のピカソの作品に、度々登場していることを考えると、人生、人間関係の巡り合わせは、ことごとく不可思議なものですね。

自画像


下図は、ピカソの「自画像」です。全体的に朦朧とした画面、目は虚ろで、こけた頬に無精ひげ、深い悲しみを湛えた表情。カサジェマスの死に取り憑かれ、冥界に片足を踏み入れているような佇まいです。

パブロ・ピカソ 「自画像」 1901年

前述の2作品のようにカサジェマス追悼の意味合いの作品だけでなく、この自画像を見ると、ピカソ自身の精神状態や贖罪の意識を吐露しているような印象を受けます。

「青の時代」の作品|盲人、道化師、貧困者…社会的弱者たち

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カサジェマスの死をきっかけに、始まった「青の時代」。前述のカサジェマスの死を題材とした作品以外は、社会の底辺に追いやられた弱者たち、生活に困窮した人々、物乞いや売春婦、寡婦、盲人、道化師、、、、

このような弱者に共感を寄せる作品を、ピカソは描き出しています。これは、ピカソが自ら身を置いていた貧困生活の中で、実際に身近で目にした社会の不条理を描き出したともいえます。

では、どのような作品があるのでしょうか。

「盲人の食事」

盲人が、手で食器をまさぐりながら、触覚で確認しながらの食事。深い青で、盲人の心象を表しているようです。

パブロ・ピカソ 「盲人の食事」 1903年

形態については、腕を逆L字型にして平行に配置することや、まさぐる右手、持つ左手、頭部と身体の位置関係などを、ややデフォルメをしています。これにより、作品の主題をわかりやすくしているように見えます。ピカソが対象の本質をとらえるために、「年老いたギター弾き」と並んで、形の重要性の指向を強くした作品といわれています。

「年老いたギター弾き」

貧しく衣服もボロボロの路上ギター弾き。青い色彩だけでなく、うなだれたポーズ(形態)による悲哀が表れています。

パブロ・ピカソ 「年老いたギター弾き」 1903年-1904年

「二姉妹」


梅毒に罹った売春婦を収容する監獄病院での売春婦と修道女をモチーフに描いた作品。当時、梅毒は治る見込みがない死に至る病でした。左が修道女、右が売春婦のようです。

パブロ・ピカソ 「二姉妹」 1902年

画家視点で考察する「青の時代」

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このよう、ピカソ「青の時代」の作品は、青く暗い色調で、社会的弱者を描き出していますが、これが、4年ほど続きます。

親友の死という出来事は、人の精神に深刻なダメージを負わせます。芸術家は、感受性が強いので、親友の死というショックな出来事はさらに増幅されて、特にダメージを負いやすい傾向があるのではないでしょうか(実際、ピカソはカサジェマスの死後、しばらくして鬱病を患っている)。

そのように精神が死に囚われている状態では、目にするものすべての暗い部分、苦しく悲しい出来事に意識が向いてしまい、作品はそれを反映したものになります。というより、それ以外の出来事が意識に入ってこない。

そのような精神状態が続けば、その分、社会の様々な暗部が目について、そのような作品を描き続けていくことになると思います。「青の時代」の作品は、暗く陰鬱としていたので、当時、ほとんど売れなくてピカソは貧困に陥っていました。それでも、ピカソは、病んだ精神に突き動かされるように、その表現をしていたと思います。

画家に限らずたびたび、芸術家同士が、表現の違いをめぐって批判しあっていることがありますが、それは、その人の精神状態や元々の性質によって、何を表現するかが違っているからではないでしょうか。

極端に言うと、同じ国・同じ時代に生きていても、反戦的な絵画を制作する表現者もいれば、甘い恋愛ソングを歌う表現者もいる。どちらが正しい、正しくない、ということではなく、表現者の内から突き上げられるように沸き起こるものであれば、それぞれが必要な表現ということです。

ピカソの話に戻りますと、一部の説で、「青の時代」は青の絵の具が安価だったから、当時、若く貧しいピカソは青の絵の具を多量に使用したこと。それが「青の時代」の暗い作品制作のきっかけになった、とあります。

しかし、私個人的には、これは明らかに間違いだと思っています。画家の立場で考えてみると、安価な絵の具に都合を合わせて、表現する内容を決めることは、まずありえません。表現する必然性がないと描くことはないです。おそらく、ピカソが表現しようとした暗い主題と、青の絵の具が安価だったことが重なっただけではないでしょうか。

同じ光景を見ても、その人の精神状態で、どこに意識が向くかは、全く違ってきます。精神が病んでいれば暗く辛い部分に、精神が満たされていれば明るい華やかな部分に意識が向く傾向があるでしょう。

例えば、街中の光景を見たときに、物乞いや娼婦の悲哀に意識が向くか、繁華街の華やかさに意識が向くか、精神の状態により、違ってくる、ということでしょうか。

ピカソ「青の時代」は、ピカソが若く感受性が強い時期に、親友カサジェマスの悲劇が重なったこと。そこから、単に親友の暗く悲しいだけの作品ではなく、さらに社会の暗部に目を向け、人生を深く洞察しようとして、青い作品群を描いたのではないでしょうか。

少し余談ですが、私の画家としての経験で、やや近い出来事がありました。

美術学校を卒業して間もない頃、親しい友人が急逝したのです。

彼は、絵画の海外遊学中でしたが、急遽帰国して私の部屋を訪ねてきました。そして、その1週間後に急死しました、、、

彼は、生活に困窮しながら、バイトを掛け持ちで、海外渡航費用を捻出していたので、精神的・肉体的に限界だったのはないかと思います。

友人の死後、彼の恋人と私は、彼の部屋で一緒に作品や遺品の整理をしました。当時、私にも恋人がいましたが、ピカソのように、友人の恋人とは何も関係はしなかったです。ただ、精神的ダメージはしばらく続きました。

私は、ピカソのように人間関係、男女関係に複雑なことはありませんでした。しかしながら、友人の死により、私の作品は、若干陰鬱な表現に引っ張られるような影響はあったと思います。

そして、画家としての取り組み方にも意識の変化をもたらしました。若さに関係なく、死は身近なもので、時間は有限、突然絶たれることもあるのだと。

20代の頃、なんとなく寿命までの時間を無限に感じていたと思いますが、そのとき画家として、1日1日の取り組み方を真剣に考えるようになりました。

ピカソは、鬱病が徐々に回復して精神状態が良くなるにつれ、明調で陽気な作品へと移行します。薔薇色など明るい暖色を使い、主題も前向きなものへと変化していきます。こうして、ピカソの表現は「青の時代」から、1904年頃~「薔薇色の時代」へと続いていきます。

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